花から実へ

ひと月前に仙台から鹿児島(GOOD NEIGHBORS JAMBOREE)へ来てくれたサエちゃんから、昨日、イツモよりも関西弁な便りが届いた。

仲良しなコも、最近急に鹿児島弁で話すようになった。

僕らは今、夏から一番遠いところに居る。過ぎたばかりなのに。

夕暮れ時はせつなく。

遠くの人が近くに居て。近くの人が遠くに居るような空気のなかで。

素の声が、絵が、まとう暖かさを感じました。

3通目です。


うすーく、レモンイエローの小さな花をつけた。
と思ったら、おしりがぷくーっともりあがって長くのびて、
ラッパみたいになった。
そうか、実は花からできるんか、
と思ったのはそれを見てからで
ていうか、こんなとこから出来るんやね、
てことはスーパーで買うきゅうりの
長〜くのびた先のとがった先には
花がいたんだった。

98円コーナーに並んでた、あの手のひらサイズの苗が
それはそれはじゃま過ぎるくらい
隣の敷地に入りそうに、にょろにょろ伸びて
気づいたら薄いひらひらした黄色いスカートが、ちびこい妖精のようにぽつんと佇まう。

もっさり毛の生えた太い茎は、剪定すると
「なんで俺やねん」と言わんばかりに肉汁がむちゅっと出る。
ばっさばっさでっかくなる葉っぱは、主張が激しく、
あっちもこっちもそっちもどっちも葉っぱだらけで奮闘し、
しかし若いヤツは謙虚にちんまり肉厚でみずみずしく、
びっしり張り巡らされた葉脈の、青々としたみどりがさわやかで、
碧色のステンドグラスみたいに光に透けている。
サラダに入れたらおいしそう、でもやっぱ苦そう。

種から育てたんじゃないけど
生命の循環はこんなところでも行われてたんだった。
きちんと水やりすれば豊かな実になり、
元気がなくなれば虫がついてたりする。

最近は、改めてやろうとしている若い人が増えて来たと思うけど、
少しでも、それを自分で育ててみる。
こうやって土に還る過程を、自分の目で見ている。
自分で生き物の声を聞くことで
命は生き物なんやなあと思う。そらそうですわ。
そらそうなんですけど、食べ物、と、生き物。の存在感の違いを感じる。
暑い日に鉢の土がからっからになってふんにゃりした時、
花びらがしわしわなのをしげしげ見た時、
葉っぱががさがさになって、色が薄くなってしもた!って時、
おしりの実がだんだん大きく、緑も濃くなって
どこかで売られてた「アイツら」と、同じ姿に育って来た時
でも、うちのアイツがいちばんかわいい、
と、運動会でビデオカメラを構えたオヤの気持ちがよくわかる。

花を
ってとこから通り過ぎて、実の話になってしまって、
そして、まるで親ばかです。
でも育てる、ってこういうことなんかなあと思ったりする。

最近実を付けにくくなってきたきゅうりの前で腕を組み、
「この子はどうしてほしいんやろ」と考えている。

shokan003c.jpg

佐伯朋子

Posted by undoandy
Category : 往復書簡
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